株式会社上池解体興業(ボッコス)

江戸城の「移築文化」に学ぶ日本的リユース精神|釘を使わない建築と解体の知恵

江戸城

江戸城の「移築文化」=“解体→再利用”の日本的リユース精神

現代では「リサイクル」「サステナブル」「サーキュラーエコノミー」といった言葉が広く知られるようになりました。

しかし、日本人は何百年も前から“資材を無駄にしない”という精神を自然に実践してきたと言われています。

その代表例が、江戸城をはじめとする「城の解体と再利用」です。戦国時代から江戸時代にかけて、城や御殿、社寺などの建物は「壊して終わり」ではなく、「壊して活かす」文化の中にありました。

釘を使わずに組む――“解体できる建築”の技術

江戸時代の建物は、現在のように鉄やボルトで固定する構造ではなく、木材同士を「ほぞ」と呼ばれる仕口で噛み合わせる工法が主流でした。いわゆる「釘を使わない建築」です。

この仕組みは単に美しいだけでなく、“解体と再組立が容易”という利点を持っていました。部材を破壊せずに分解できるため、城や寺院などの建物は、必要に応じて“解体→移築”が可能だったのです。

つまり、当時の職人たちは「建てるときから解体を想定していた」と言えます。木を組む技術、部材の寸法の統一、現場ごとに刻印を打つ「墨付け」など、すべてが再利用を前提とした知恵の積み重ねでした。

江戸城の“解体と移築”が生んだ再利用文化

江戸時代後期から明治維新にかけて、江戸城は政治の舞台からその役割を終え、多くの建物が取り壊されました。しかし、完全に“失われた”わけではありません。

城郭の一部や御殿の材木は、全国各地へと運ばれ、「再利用」されたと伝えられています。
中でも有名なのが、福島県・会津若松の御三家屋敷跡や、愛知県・興正寺などに江戸城の材が使われたという説です。

確証は得られていないものの、当時の記録や伝承から「江戸城の木材が再利用された可能性」は高いと考えられています。

このような「移築文化」は、江戸時代の“もったいない精神”そのもの。資材の輸送や組立には膨大な労力がかかりますが、それでも木を大切に使い続ける姿勢が当時の社会に根付いていたのです。

江戸城の解体が全国に広がった背景

明治維新によって徳川幕府が終わりを迎えると、江戸城は新政府の手によって引き継がれました。
明治維新後、旧体制の象徴である城郭は「維持費がかかる」「政治的に不要」と判断され、取り壊しが進められていきます。

当時、江戸城内には数百棟におよぶ御殿や櫓(やぐら)、門などがあり、その多くは焼失・解体・払い下げのいずれかの運命をたどりました。
しかし、資材の多くはそのまま廃棄されず、再利用されていったと考えられています。

“江戸城の材木”はどこへ行ったのか

江戸城の建物や木材がどこへ行ったのか――。
史料には断片的ながら、いくつかの移築・再利用の記録が残っています。

◆ 会津若松(福島県)に伝わる説
会津藩は幕末に幕府側として戦いましたが、その後の再建の際、江戸城の解体材を利用したという伝承があります。
「御三家屋敷跡」や「西郷頼母邸跡」などの復興に使われたとも言われ、実際に当時の図面や木材痕跡が一致する例も報告されています。
ただし確実な文書記録は乏しく、現在は“伝承・説”の域を出ないとされます。

◆ 愛知県・八事山 興正寺に伝わる説
名古屋市の古刹「興正寺」には、江戸城紅葉山御殿の材木が移されたという説が残っています。
寺院の大書院や山門の一部に、江戸城由来の木材が使われたとされ、「江戸から運ばれた梁の墨付けが残っている」という伝承もあります。
専門家による調査では、材質や加工痕の一致が見られた箇所もあり、「信憑性は高いが確証はない」とされています。

◆ その他の移築・再利用例
・江戸城の門の一部が寺院や大名屋敷に払い下げられた記録
・旧二の丸御殿の建具が明治期の官庁施設に再利用された記録
・江戸城大手門や桜田門の石垣が、後に別の建造物修復に転用されたケース
など、江戸城の資材は全国へと散り、形を変えて生き続けたと考えられます。

「解体=再生」だった江戸時代の建築思想

現代では「解体」という言葉に“壊す”“取り除く”という印象を持つ人が多いでしょう。
しかし江戸時代の解体は、それとは全く異なる意味を持っていました。

当時の大工や棟梁は、建物を壊すときにも木材の傷みや向きを確認し、
次にどの建物へ転用できるかを考えながら解体を進めていました。
つまり、「解体=再生」という発想が根底にあったのです。

これは、木を伐り出すにも膨大な手間と時間がかかった時代背景も関係しています。
貴重な自然資源を無駄にしないため、木の一本一本を生かすことが“職人の誇り”であり、“文化の継承”でもありました。

江戸の“もったいない精神”と現代のサステナブル思想

江戸時代の人々にとって、「資材を再利用すること」は特別な理念ではなく、
日常に根付いた“あたりまえ”の行動でした。
壊した建物の木材は橋や蔵の補修に、瓦や石材は塀や庭に――。
まさに「廃棄」ではなく「循環」の文化が存在していたのです。

現代でいうところのSDGs(持続可能な開発目標)
サーキュラーエコノミー(循環型経済)に近い発想が、
すでに江戸時代の職人たちの手仕事の中に息づいていました。

つまり、江戸城の「解体と再利用」は、単なる歴史的事実ではなく、
日本人が古来から持つ“自然との共生”と“資源循環”の象徴でもあったと言えるでしょう。

現代の“解体業者”が受け継ぐリユース精神

時代は変わり、建築資材や施工技術は大きく進化しました。
しかし、「壊すことの中に次を生む」という発想は、今も変わらず解体現場に息づいています。

現代の解体業では、木材・鉄・コンクリート・プラスチックなどの廃材を細かく分別し、
再資源化(リサイクル)することが義務付けられています。
これはまさに、かつての職人たちが自然に行っていた“解体と再利用”の知恵を、
科学的・法的に再構築した現代版のリユース文化とも言えます。

また、工事前に近隣へ丁寧に挨拶を行い、粉じんや騒音を抑える工夫をする――。
これも「人と地域との共生」を重んじた江戸の職人文化の延長線上にあると言えるでしょう。

江戸城の教えが、未来の解体現場を支える

江戸城の建物が、形を変えながらも各地で生き続けているように、
現代の解体工事もまた「次の建物」や「新しい街づくり」へとつながっています。

壊すことは終わりではなく、次の始まり。
この考え方こそ、江戸の職人が残した最大のメッセージなのかもしれません。

そして現代の解体業者は、その思想を「安全」「品質」「環境配慮」という形で受け継ぎ、
持続可能な社会づくりの一翼を担っています。

まとめ

江戸時代の建築は、釘を使わずに組み、壊しても再び組み直せる“循環する建築”でした。
江戸城の解体と移築の伝承は、その象徴的なエピソードと言えます。
そして、そこに宿る「壊して終わりではない」という思想は、
現代のサステナブル建築や解体リサイクルの根底にも通じています。

技術や道具は進化しても、“資源を活かす心”は昔も今も変わりません。
私たち解体業者は、その精神を現代的に継承しながら、
次の世代に誇れる「壊し方」を追求していきます。

江戸の職人たちの知恵に学ぶ“解体と再利用”――
その精神を現代の現場で受け継ぐ私たち ボッコス に、ぜひご相談ください。
住宅・店舗・公共施設まで、環境に配慮した丁寧な解体をご提案いたします。

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